世界遺産!バチカン市国『サン・ピエトロ大聖堂』

どうも~ジーナ(@JiNA_0318)です☻

前回はシスティーナ礼拝堂をご紹介したのですが、写真撮影NGということで、文章だけでのご紹介になってしまったのですが、今回はサン・ピエトロ大聖堂を思負う存分ご紹介したいと思います~

<サン・ピエトロ大聖堂>

サン・ピエトロ大聖堂はカトリックの総本山であり、イエス・キリストの最初の弟子である聖ペトロのお墓の上に建てられた、世界最大級のキリスト教の建造物です。

中には45の祭壇と11の礼拝堂があり、歴代の教皇の墓石や、初代ローマ教皇となった聖ペトロのお墓もあります。

サン・ピエトロ大聖堂の歴史は、ローマで初めてのキリスト教皇帝となったコンスタンティヌス1世が、4世紀に聖ペトロの墓地にバシリカ式教会堂を建てたことから始まりました。

その後、1377年に教皇ニコラウス5世が建てなおしを始め、1499年に教皇アレクサンデル6世が改築を提案し、1505年に教皇ユリウス2世によって改築が始められます。

歴代の教皇の歴史が重なったサン・ピエトロ大聖堂は、1626年に完成を遂げた2代目の大聖堂となっています。

設計を担当したのはルネサンスを代表するイタリアの建築家ドナト・ブラマンテですが、彼が亡くなってからは当時72歳となっていたミケランジェロが引き継ぎます。

しかし彼もまた1564年に亡くなってしまったので、サン・ピエトロ大聖堂の完成した姿を見ることはありませんでした。

ミケランジェロが亡くなった後は、バロック時代を代表するイタリアの建築家・ジャン・ロレンツォ・ベルニーニが引き継ぎ、ようやくサン・ピエトロ大聖堂が完成しました。

システィーナ礼拝堂とサン・ピエトロ大聖堂は隣接しているため、出口を出るとすぐそこが大聖堂の入り口となっています。

<聖グレゴリーイルミネーター>

アルメニアの守護聖人。

301年にアルメリアにキリスト教を伝えた宗教指導者です。

システィーナ礼拝堂の出口を出ると

この大きな聖グレゴリーイルミネーター像がありますよ~

そして階段を下りて左側に向かうと

サン・ピエトロ大聖堂のアトリウム(玄関廊)に出ます。

こちらの写真はアトリウムに向かう途中で撮影したものです。

世界中から集まった人で、いっぱいです~

<フィラレーテの扉>

こちらはアトリウムにあるフィラレーテの扉です。

大聖堂に入るには

死の扉・善と悪の扉・フィラレーテの扉・秘蹟の扉・聖年の扉

5つの扉があります。

<聖なる扉>

こちらの扉は25年毎のクリスマスに開かれる扉で

いつもは閉まっているのですが

ちょうど「いつくしみ特別聖年」が開催されている時期に

訪れたようで開かれていました!

ローマにある4大聖堂には「聖年の扉」があり

すべての扉を通ると罪が許されると言われているそうですよ~

<ローマの4大聖堂はこちら>

サン・ピエトロ大聖堂

サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂

サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂・サンタ

マリア・マッジョーレ大聖堂

さっそく大聖堂の中に入ってみると

豪華な装飾と美術品に思わず声が出てしまうほど圧倒されました!!!

高さ120メートル・幅156メートル・長さ211・5メートルの

世界最大の大聖堂。

真ん中にある通路は身廊といい、奥の方にある祭壇まで繋がっていて

その長さは何と186メートル。

身廊は通れないように、周りに柵が立てられていました。

天上には小さめのクーポラが、いくつかあります。

見事なフレスコ画が描かれていますよ~

<ピエタ>

ピエタとはイタリア語で哀れみや慈悲という意味。

十字架に磔になったイエス・キリストを抱く聖母マリアを

彫刻や絵画で作品にしたものを「ピエタ」と呼びます。

サン・ピエトロ大聖堂に入ってすぐ右側に

ガラスケースにおさめられたミケランジェロ作のピエタが飾られています。

この作品はミケランジェロが20代前半の時の作品。

その後もミケランジェロは生涯を通して3つのピエタ制作を試みるのですが

どれも未完成の作品となっているため

完成された唯一の作品となっています。

「彫刻作品の限界を超えた」と評価された

ルネサンスの巨匠ミケランジェロの最高傑作。

力なく横たわるキリストや、聖母マリアのドレスの裾の流れが本物みたいで

大理石で造られた彫刻とは思えません!

ミケランジェロのピエタを見た後は、大聖堂の中を進みます。

<聖ペトロ像>

少し中の方へ進むと聖ペトロの像がありました。

聖ペトロはイエス・キリストの最初の弟子で12使徒のうちのひとり

そして初代ローマ教皇です。

キリスト教への迫害が強まる中、ペトロはローマを離れ避難しますが

そこへイエス・キリストが姿を現します。

ペトロが「どこへ行かれるのですか?」と質問を投げかけると

イエスは「あなたが私の民を見捨てるのなら

私はもう一度十字架にかけられるためにローマへ」と答えました。

それを聞いたペトロは覚悟を決め、ローマに戻ってから

「逆さ十字の刑」に架けられ殉職しました。

カトリック教が聖ペトロを初代ローマ教皇と認めるのは

イエス・キリストから「天の国の鍵」を授かったことで権威を与えられ

それがローマ教皇に継承すると判断されたためです。

写真だと分かりにくいのですが

このペトロ像の右足に触れたりキスして祈りを捧げると

健康になると言われているようです。

<バルダッキーノ(大天蓋)>

バロック時代を代表する

イタリアの建築家ジャン・ロレンツォ・ベルニーニの作品です。

教皇ウルバヌス8世に依頼され、9年という年月をかけ1633年に完成しました。

ブロンズ製の天蓋は高さが29メートル・重さは93tとなっていて

捻じれた柱が特徴的です。

もう本当に大天蓋の大きさにビックリさせられました!

カトリックの総本山の力を見せつけられた感じで

人が造りだす作品に限界はないのかと思わされます。

そしてベルニーニ作の大天蓋の下には教皇祭壇があり

その下には聖ペテロ聖遺物礼拝堂があります。

この下に聖ペトロのお墓があり

サン・ピエトロ大聖堂の心臓部となる場所です。

私が行った時には黒スーツのお兄さんが2人いて

柵も立てられていたため、これ以上近づくことができませんでした。

<聖ペトロの司教座>

バルダッキーノの先に見える金色に輝く部分が

バロック芸術の傑作と言われたベルニーニ作の聖ペトロの司教座です。

司教座の椅子は聖ペトロが使っていた物で

その木の椅子の周りにベルニーニによってブロンズで豪華な装飾がされ

1666年に完成しました。

この司教座にはローマ教皇しか座ることが許されず

椅子の上部には聖霊の象徴である鳩のステンドグラスが飾られています。

(逆光で見えなくなってますね・・・すいません)

<聖ベロニカ>

イエス・キリストが十字架を抱えながらゴルゴタの丘へ向かっている途中で

汗や血を拭うように持っていたベールを手渡した聖女。

そのベールにはイエス・キリストの顔がくっきりと浮かび上がるという

奇跡が起きベロニカは聖女になったと言われています。

ベールには万病を治す力が宿ったと言われ

イエス・キリストの聖遺物としてサン・ピエトロ大聖堂に保管されています。

聖ベロニカ:布商人・洗濯業者・写真家の守護聖人

両手に聖顔布(キリストの顔が浮かび上がったベール)を持っています。

<聖ヘレナ>

初めてのキリスト教皇帝となったコンスタンティヌス1世の母。

イエス・キリストが磔になった

十字架・聖釘・槍を発見したと言われています。

313年にキリスト教に改宗し

その後は財産を投じてキリスト教に尽くし、聖人となりました。

聖ヘレナが十字架を発見した場所には、「聖ヘレナ聖堂」が建っています。

聖ヘレナ:考古学・改宗・離婚や結婚の守護聖人

右手にはキリストが磔になった十字架を抱えています。

<クーポラ>

バルダッキーノの上にはミケランジェロが設計したクーポラがあります。

高さ約138メートル・直径約43メートルのクーポラは

ミケランジェロの死によって

イタリアの建築家・彫刻家である

ジャコモ・デッラ・ポルタが引き継がれました。

クーポラの周りには

『あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。

そしてあなたに天の国の鍵を授ける。』

と福音書の一説が書き込まれています。

<キリストの変容>

こちらの作品はラファエロのレプリカですよ~

※本物はバチカン美術館のピナコテカ(絵画館)の

ラファエロの部屋にあります!

<宝物博物館入口>

こちらでは聖人の遺物や、儀式で使う道具、そしてベルニーニ作の天使像を

見ることができるようです。

私は時間がなかったので、今回は中へ入ることができませんでした~

<レオ1世とアッティラの出会い>

写真の1番奥に見えるのが、イタリアの建築家・彫刻家である

アレッサンドロ・アルガルディの作品です。

レオ1世はアッティラが侵入してきた時に

会見をして解決しローマを守った大教皇です。

カトリック教会では聖人とみなされ、聖レオと呼ばれることもあります。

<ピウス7世の墓石>

こちらはプロテスタントである彫刻家・ベルテル・ソヴァルデンの作品です。

ピウス7世はフランス革命後

断絶してしまったフランスとの関係を修復した教皇。

その後ナポレオンと対立し幽閉された歴史もありますが

ナポレオンがセントヘレナ島に流された時に

司祭を送り見放さなかった一面を持っています。

ルーブル美術館にある「ナポレオンの戴冠式」の作品では

ナポレオンのすぐ後ろで座っている姿が描かれていますよ~

どこを見ても豪華な装飾と、度肝を抜かされる美術品ばかりです。

<インノケンティウス11世の墓石>

フランスの彫刻家であるピエール・エティエンヌ・モンノの作品。

インノケンティウス11世は

オスマントルコのヨーロッパ進撃作戦が行われた時

多額の軍事金を負担し、オスマン帝国を撃退した教皇です。

墓石はその戦いの勝利を記念した作品になっています。

<レオ11世の墓石>

イタリアのフィレンツェを支配していたメディチ家出身の教皇。

メディチ家の力によって教皇になったそうですが

教皇に就いてから26日後にこの世を去りました。

<ピウス10世>

保守的な教皇であるピウス10世は

第一次世界大戦を回避しようと行動に出ましたが

大戦争に大変なショックを受けたとされ、この世を去りました。

亡くなった後はピウス12世によって

信仰の手本となる信者に選ばれ

教皇としては400年ぶりに聖人としてみなされた人物です。

これは16世紀に列聖されたピオ5世以来の出来事となっています。

美しい大聖堂内は、1日中いても飽きないですよ~

私は予定を詰め込み過ぎてしまったため

ゆっくり見ることができなかったのですが

次回訪れる際は、丸1日バチカン市国にいたいと思います!

美術や世界史に興味がない人でも

人が創り上げた作品に圧倒されること間違いなしなので

訪れる際は時間に余裕を持つことをおすすめします~

<マリア・クレメンティナ・ソビエスカの墓石>

 マリア・クレメンティナ・ソビエスカは

バチカン美術館の「ソビエスキ王の間」で登場した

ポーランド王ヤン3世ソビエスキの孫娘です。

イングランドとスコットランドの王位請求者である

ジェームス・フランシス・ステュアートの妻となりますが

結婚生活がうまくいかず32歳で早世します。

こちらの墓石は

トレヴィの泉のポセイドンを手掛けた彫刻家ピエトロ・ブラッチの作品。

<スチュワート家の墓石>

マリア・クレメンティナ・ソビエスカの夫

ジェームス・フランシス・ステュアートと息子2人の墓石。

3人の死によって300年以上続いたステュアート家の血は途絶えました。

こちらの墓石はイタリアの彫刻家アントニオ・カノーヴァの作品で

墓石の上の方に3人の胸像があります。

<キリストの洗礼>

こちらの洗礼礼拝堂には

イタリアの画家カルロ・マラッタが描いた「キリストの洗礼」があります。

洗礼者ヨハネはキリストと親戚関係にある預言者。

ヨルダン川でイエス・キリストに洗礼を授けているシーンが描かれています。

頭上に描かれているのは、聖霊を象徴する鳩で

キリストが洗礼を受けている時に姿を現し

「イエスこそ我が子である」という神の声が聞こえたと

福音書に記されています。

<レオ12世>

外交的な活動で非カトリックである国々と

良好な関係を築くことに成功した教皇。

しかし中世の古き良き習慣を復活させようと

ユダヤ人をゲットーに追いやったり

カトリック教の人々にもたくさんの規則を設け

民心を失う結果となってしまいました。

秘密結社であるフリーメイソンを非難した人物でもあります。

<聖なる扉の内側>

25年に1度開かれる聖なる扉。

内側はこのようになっています。

私が訪れた際は「いつくしみ特別聖年」となっていたので

普段は漆喰で塗り固められている扉が、開かれていました~

扉の上には天の国の鍵を持った聖ペトロの絵が飾られています。

<聖セバスティアヌスの殉教>

聖セバスティアヌス礼拝堂には

イタリアの画家ドメニコ・ザンピエーリ(ドメニキーノ)が描いた

「聖セバスティアヌスの殉教」があります。

聖セバスティアヌスはローマの軍人で、キリスト教の迫害によって

ハリネズミのようになるまで、体に何本も矢を射抜かれます。

しかし聖イレーネの介抱によって一命を取り留めますが

皇帝の前でキリスト教を説いたため

皇帝によって死ぬまで殴られ続けました。

聖セバスティアヌスはキリスト教を広めたことで聖人とみなされ

ペストや兵士の守護聖人とされています。

そして!こちらの礼拝堂には2005年に亡くなった

聖ヨハネ・パウロ2世のお墓があります。

聖ヨハネ・パウロ2世は世界平和を願い戦争を反対する呼びかけと行動を起こし

ピウス10世以来の列聖された教皇となり、聖人としてみなされています。

26年という長い月日の教皇の歴史には、2度の暗殺未遂事件が起こりましたが

命に別状はなく後に犯行に及んだ犯人に許しを与えた教皇です。

<イノセント12世の墓石>

インノケンティウス11世の意志を引き継ぐ教皇。

贅沢な暮らしを嫌い

教皇の親族登用(ネポティズム)や聖職売買(シモニア)の

根絶を目指しカトリック教会の悪習の改善を実践しました。

こちらの墓石はトレヴィの泉の彫刻でも有名な

イタリアの彫刻家フィリッポ・デッラ・ヴァッレの作品で

左には慈愛の天使、右には善と悪を天秤で計る正義の天使がいます。

<マティルダの墓石>

イングランド王ヘンリー1世の娘で

12歳の時に神聖ローマ皇帝ハインリヒ5世の妻となります。

しかし11年後に夫が死去したため母国のイングランドに戻り

3年後にフランスに渡り、ジョフロワ4世と再婚をし

後のイングランド王ヘンリー2世を生みます。

ローマ教皇の保護者として活躍し、右手に指揮棒を持った姿で

ベルニーニの弟子によって墓石が造られ

サン・ピエトロ大聖堂に埋葬されました。

<聖歌隊礼拝堂>

こちらの礼拝堂は柵が立っていて、中に入ることができません。

<無原罪の御宿り>

聖歌隊礼拝堂の中を覗いてみると

そこにはイタリアの画家ピエトロ・ビアンキが描いた

「無原罪の御宿り」があります。

無原罪の御宿りとは

罪なき聖母マリアが処女にして神から子供を授かったということ。

<グレゴリウス13世の墓石>

イタリアの彫刻家カミッロ・ルスコーニの作品。

グレゴリウス13世は、学問が好きで名門ボローニャ大学を卒業し

その後大学教授も務めました。

教皇になってからは教会改革に積極的に取り組み

各地に建て神学校を建て

キリシタン大名とイエズス会の命令で派遣された

天正遣欧使節との謁見もしました。

そして時差が生じていたユリウス暦を廃止し

現代の私たちが使っている暦(グレゴリウス暦)を用いた教皇となり

私たち日本人とも関わりの深い人物です。

<グレゴリアーナの礼拝堂>

ミケランジェロが手掛け彼が亡くなってからは

イタリアの建築家であり彫刻家でもあるジャコモ・デッラ・ポルタによって

完成された礼拝堂です。

祭壇には「救いの聖母」が飾られています。

<聖ヒエロニムスの聖体拝領>

こちらの礼拝堂には

イタリアの画家ドメニコ・ザンピエーリ(ドメニキーノ)が描いた

聖ヒエロニムスがキリストの血と肉とされるパンとワインを

体に受け入れるシーンを描いた祭壇画があります。

聖ヒエロニムスはもともとキリスト教に関心がなかったのですが

20代の時に重病を患ったことで神学に進み

シリアの砂漠での隠居生活を始めます。

勉強家な聖ヒエロニムスはギリシャ語・ヘブライ語・ラテン語を学び

聖書を翻訳し、通訳の守護聖人となっています。

絵の左隅にライオンが描かれているのですが

これは修道院に迷い込んだライオンの足に棘が刺さっていて

それを聖ヒエロニムスが抜いたという伝説から描かれています。

<グレゴリウス16世の墓石>

こちらの作品はイタリアの彫刻家ルイジ・アミチの作品です。

グレゴリウス16世は、若い頃から秀才として評判が高く

鉄道やガス灯など近代文化を嫌っていた教皇です。

イタリア独立運動が高まる中、外国軍の出動を命じ

市民の不満を買い暴動へと発展しました。

<ベネディクトゥス14世の墓碑>

こちらはイタリアの彫刻家ピエトロ・ブラッチの作品です。

ベネディクトゥス14世は数学や物理学、そして化学などに関心を抱き

カトリックとプロテスタントの結婚を認めるなど、改革を行った教皇です。

サン・ピエトロ大聖堂を見学中に

身廊を歩く信徒の方々がいらっしゃりました。

たくさんの美術品に囲まれて、すっかり忘れてしまいましたが、

ここがカトリックの総本山であることを思い出させてくれました。

今回はここまで!

次回はサン・ピエトロ広場をご紹介します~

お楽しみに~☺

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