オランダ・アムステルダム観光『アンネの家』

どうも~ジーナ(@JiNA_0318)です☻

今回ご紹介する16寄港地目はオランダの首都アムステルダムです~

ベルギーのゼーブルージュ港を出発して、翌日の午前中にアムステルダム港へ到着!

嬉しいことに港からアムステルダムの観光地へは徒歩で行くことができ、アクセスがとっても良い寄港地だったので、風車や花市場、そしてゴッホ美術館とかいろいろ行こうと予定を組んでいたのですが・・・・

なんとアムステルダム港へ行く途中にある橋が、開閉装置が壊れてしまって修理の目処がたたないというアクセント発生!

急遽アムステルダム港から20キロ以上離れた場所が着眼地点となり、そこからバスと電車を利用して目指さなければならない事態になりました。

仕方なく着眼地点の近くにあるバス停に向かったのですが、すでにクルーズ客で長者の列ができていて、アムステルダムに着くのが何時になるのか分からない状態。

「もうダメだ。」と諦めかけた時、船で知り合った友達がホテルでタクシー呼んでもらって、みんなで割り勘して向かおうと誘ってくれました~

バス停に並んでいる長者の列を見た時は、もうアムステルダム行けないなんて思いましたが、その場に居合わせた7人でタクシーに乗り、無事にアムステルダムに到着することができました!

こちらは1889年に開業したアムステルダム駅。

ここでタクシーに乗り合わせたメンバーと一旦解散して、19時に集合してみんなで一緒に帰る約束をしました。

ここからアムステルダムの1人観光。

とりあえず集合場所の目の前にあったカフェに入って、これからの予定をどうしようか考えることにしました。

私はクルーズ出発前に『アンネの日記』を読んできていたので、アムステルダム観光はアンネ・フランクが2年間ナチスの迫害から逃れるために住んでいた隠れ家へ向かうことに決めました~

カフェで一休憩した後は目的地『アンネの家』を目指して出発~

アムステルダム駅を背にして、お土産屋さんが軒を連ねているダムラック通りをまっすぐ進みます。

通りにはカフェやレストランもたくさんあり、中にはこのようなお寿司屋さんもありましたよ~

ダムラック通りにあった「ベール・ヴァン・ベルラージュ」です。

こちらは建築家ヘンドリック・ぺトラス・ベルラージュが設計し、1896年~1903年に建設され、現在はコンサートや展示会などが開かれています。

こちらは1870年に開業した『バイエンコルフ』で、アンネの日記にも登場する老舗百貨店です。

ダムラック通りの脇道の様子。

お店がいっぱいあって世界中から集まった観光客で賑わっています。

こちらはチーズ専門店。

お店の前には牛の置物が飾られていて、かわいいですね~

店内にある棚にはびっしりとチーズが並べられています。

オランダは何千年も前からチーズを作っていた歴史があり、「チーズの国」としても有名なんですね~

ダムラック通りをまっすぐ進むと、こちらの「ダム広場」にたどり着きます。

ここはもともとアムステル川をせき止めするダムがあった場所で、首都アムステルダムの名前の由来にもなった場所です。

広場の向かい側には、1956年に建てられた第二次世界大戦で亡くなった方への慰霊碑があります。

<アムステルダム新教会>

こちらは15世紀に建てられた「アムステルダム新教会」です。

600年の歴史が残るこちらの教会で戴冠式や結婚式が行われ、オランダ王室と繋がりが深い教会となっています。

<王宮>

こちらは1648年に建築家ヤコブ・ファン・カンペンによって建てられた市庁舎で、世界一豪華な市庁舎と言われていました。

現在はオランダ王室の行事が行われる場所として使われていますが、1794年にフランス軍がオランダへ侵攻し、ルイ・ボナパルト(ナポレオンの弟)が王宮として使った場所です。

王室行事が執り行われていない日は、内部の見学をすることができるようなのですが、私は時間がなかったため立ち寄ることができませんでした。

王宮の前に飾られていた内部の写真。

写真の左側がウィレム・アレクサンダー王で、中央がベアトリクス女王、そして右側がマキシマ女王です~

もともと市庁舎であった王宮の内部は、税金庁・保険庁・総務庁などの部屋が残されているようですね~

王宮の内部は当時のまま残っているそうでオランダの黄金時代を象徴しています。

王宮の内部にはこのような調度品も飾られているんですね~

本物見たかったなぁ~

後ろ髪を引かれる思いで王宮を後にして、アンネの家へ向かうため、ダム広場からラートハイス通りをまっすぐ進みます。

アムステルダムは運河が張り巡っていて、街の中でたくさんの運河を見かけました。

運河クルーズを楽しむことができますよ~

そしてオランダは自転車大国としても有名。

街の至る所で駐輪している自転車を見かけました~

アムステルダム駅からダム広場まで徒歩10分、さらにラートハイス通りを歩くこと10分。

アンネの家に到着!

え?ここが家なの?と思う方もいるかもしれませんが、アンネの父の職場事務所の3・4階部分に、アンネ一家4人と、父の同僚ファン・ペルス一家3人と、歯医者のプフェファーの合計8人で、ナチスのユダヤ人迫害から逃れるため2年間隠れ住んでいた場所です。

こちらの建物は現在アンネ・フランク財団が管理する博物館となっていて、外装の1~2階は改装がされていますが、内部は当時のまま残されています。

アンネの家の隣には通りを挟んで西教会があります。

こちらの教会もアンネの日記に登場する建物で、アンネは小さな窓から教会を覗いたり、鐘の音を聞いて過ごしていました。

教会の脇に見える行列は、アンネの家を見学する人が並んでいる様子です。

さっそく私も並んでみますが、最後尾はアンネの家からずいぶん離れた場所にあり、アムステルダムの寒空の中1時間以上並んで、やっと入ることができました。

アンネの家は写真撮影禁止だったので、中の様子をお見せすることはできないのですが、見学を終えて外に出てきた瞬間、何とも言えない気持ちになりました。

アンネの日記はある時を境に書かれることがなくなるのですが、それはアンネが1944年8月4日にナチスに身柄を拘束され、アウシュビッツ収容所へ送られたことを意味しています。

密告によってナチスに居場所が見つかり、何も知らなかった8人は何気ない日常生活を送っている時に、突然姿を表したナチスによって人生が一転するのです。

アンネは父と母と引き裂かれ、姉のマルゴーと一緒にベルゲン・ベルゼン収容所へと移送され、1945年の2月後半か3月の初めにチフスが原因で息を引きとりました。

これはイギリス軍によって収容所が解放される約2か月前の出来事でした。

もしも自分がアンネの立場だったら、この狭い空間で2年間も隠れて暮らし続けて、それでも未来に希望を持って生きようと思うことができるのか?

ここへ訪れてアンネ・フランクが明るく前向きで、いかに強い女の子であったかを知ることができ、自分よりも年下の女の子に学ぶ機会を与えてもらいました。

アンネの家を後にして集合時間まで時間があったので、こちらのレストランで少し早い夜ご飯をいただくことにしました。

まずはカフェラテ。

外は寒かったのであたたかいカフェラテで体を温めます。

そして、注文したのはこちらのフィレステーキ~

お肉は柔らかくて謎の茶色いソースが濃厚で相性抜群!

ペロッとすぐに平らげてしまいました。

夜ご飯をいただいた後は集合場所に行って、無事に船へと帰ることができました。

アムステルダム観光は予想もしなかったハプニングが起こり、一瞬諦めそうにもなったのですが、アンネの家を見学することができて歴史に触れることができました。

今回はここまで!次回もお楽しみに~☺

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